バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

キリストに従う ボンヘッファー 第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 高価な恵み

第一部 恵みと服従

Ⅰ高価な恵みと服従

 

【高価な恵み】 

 安価な恵みは、われわれの教会にとって許すべからざる宿敵である。われわれの戦いは今日、高価な恵みをめぐって戦われている。

 安価な恵みとは、見切品としての恵みのことであり、投げ売りされた赦し・慰め・聖礼典のことである。それはまた、教会の無尽蔵の宝庫のようなものであって、そこから、恵みが浅薄な人々の手によって、無思慮に、また見さかいもなく注ぎ出されるのである。さらにそれは、値段や費用のない恵みのことである。恵みの本質というものは、勘定があらかじめ永遠に支払われているというわけであろう。支払いが既に終わっているのであるから、あらゆるものがただで手に入れられる。そういう支払いずみの費用というものはまさに無限に大きく、したがってその使用や浪費の可能性も無限に大きい。安価な恵みではない恵みというものがあったとしたら、それは何であろうか。 

 安価な恵みとは、教説・原理・体系としての恵みのことである。一般的真理としての罪の赦しのことであり、キリスト教的な神観念としての神の愛のことである。この安価な恵みを肯定する者は、自分の罪の赦しを既に手に入れている。この恵みの教説を奉ずる教会は、それによって既に恵みにあずかっている。このような教会の中にこの世が見出すものは、教会の罪の安価な隠蔽であるが、教会はその罪を梅いることはないし、またそれから自由になろうという願いは毛頭いだかない。それゆえに、安価な恵みは、生きた神の言葉の否認であり、神の言葉の受肉の否認である。

(中 略)

 高価な恵みは、畑に隠された宝であって、そのためには人間は出かけて行って自分の持物を全部喜んで売り払うのである。それは値段の張る真珠であって、それの支払いのために商人は自分の全財産を犠牲にするのである。それはまたキリストの王的支配であって、そのためには人間は自分を躓かせる目をえぐり取ることも辞さないものである。さらにそれはイエス・キリストの招きであって、それを聞いた時弟子たちは網を捨てて従ったのである。

 高価な恵み――それは繰り返し探ね求められるべき福音であり、祈り求められるべき賜物であり、叩かれるべき戸である。

 それは、服従へと招くがゆえに高価であり、イエス・キリストに対する服従へと招くがゆえに恵みである。それは、人間の生命をかける値打がするゆえに高価であり、またそうすることによって人間に初めて生命を贈り物として与えるがゆえに恵みである。それは、罪を罰するがゆえに高価であり、罪人を義とするがゆえに恵みである。恵みが高価であるのは、先ず何よりも、それが神にとって高価であったから、すなわち、それが神に対して――「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ」〔Ⅰコリント6:20〕とある通り――み子の生命をその値として支払わしめたからであり、また、神にとって高価なものがわれわれに安値であるということはありえないからである。高価な恵みが恵みであるのは、何よりも先ず、神がみ子をわれわれの生命のために高価なものとして惜しみ給うことなく、われわれのために犠牲にし給うたからである。高価な恵みは神の受肉である。

 高価な恵みは、この世に対して守られるべき、また犬の前に投げ与えられてはならない神の聖なる宝としての恵みである。それゆえにこそ、それは、生きた言葉としての、すなわち、神ご自身がみこころのままに語り給う神の言葉としての恵みである。み言葉は、イエスに対する服従への恵みに満ちた呼びかけとしてわれわれに届く。また、赦しの言葉として、恐れおののく魂や疲れはてた心のもとに来たる。恵みが高価であるのは、人間を強いてイエス・キリストへの服従のくびきの下に連れ来たるからである。イエスが、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言い給うということこそ、恵みなのである。

(中 略)

 キリスト教の版図が拡大し、教会がだんだんと世俗化すると共に、高価な恵みに対する認識は徐々に失われて行った。世界がキリスト教化される一方、恵みはキリスト教的な世界の共通財産になってしまった。恵みは安価に手に入れるべきものであった。しかしローマ教会は、最初の認識の残滓をまだ持っていた。修道院制度というものが教会と袂をわかたず、教会の知恵が修道院の存在を忍耐深く受け入れたということは、全く重大な意味のあることであった。それは教会のへりのような場所であったが、恵みが高価であるということ、恵みが服従を包含するということに対する認識が明確に保持されている、そういう場所であったのである。人々は自分の持ち物を全部キリストのゆえに捨て去り、毎日の修練においてイエスの厳しい戒めに従おうと努めた。こうして修道院生活は、キリスト教の世俗化に対する、恵みを安価なものにすることに対する、生きたプロテストとなった。しかし教会は、このプロテストを耐え忍び、それとの間に決定的な決裂状態を生み出さないことによって、そのプロテストを相対化し、さらにその上、このプロテストから自分自身の世俗化した生活の是認をも獲得した。というのは、今や修道院生活は、教会の一般大衆には義務づけることのできないような、個々人の特殊なわざとなったからである。イエスの戒めの妥当性を、ある一定の特別に能力のある人々の群れに不運にも限定したことは、キリスト教的な従順のわざを最高のものと最小のものに分離するという結果を生んだ。それに伴って、教会の世俗化を激しく攻撃するごとに、教会の内部における修道院的な道の可能性を指示することができるようになったが、その道と並んで、もっと楽な道を選ぶ別の可能性がはっきりと是認された。こうして、高価な恵みに関わる原始キリスト教の理解に対する指示は、ローマ教会においては修道院制度によって保持されなければならなかったわけであるが、矛盾したことではある

けれども、それは教会の世俗化を自ら再び最終的に是認する結果となったのである。にもかかわらず、修道院制度の決定的な誤謬は――イエスのみこころの内容的な誤解はとも角として――厳しい服従の恵みの道を歩んだということにあったのではない。むしろ、修道院制度は、その道をごく少数の者たちの自由な特殊のわざへの道たらしめ、それによってその道に特殊な功績が帰せられることを要求するということによって、キリスト教的なものとの本質的な開きを生んだのである。

  神がその僕マルティン・ルターによって、宗教改革において、純粋な高価な恵みについての福音への覚醒を与え給うた時、神はルターを修道院を経て導き給うた。ルターは修道士であった。彼はすべてのものを捨て、完全な従順を捧げてキリストに従おうとした。彼はこの世を捨て去って、キリスト教的なわざにたずさわった。彼は、従順な者のみがよく信じうるということを知っていたからこそ、キリストとその教会に対する従順を学んだのである。修道院への招きがルターに求めたものは、彼の全生活をそれに傾注するという犠牲であった。ルターはその自分の道を歩んで行き、神ご自身に突き当たって挫折を経験した。神は彼に、イエスに対する服従は、個人の功績を積もうとする特殊なわざではなくて、すべてのキリスト者に対する神の戒めであるということを、聖書を通じて示し給うた。服従という謙遜なわざは、修道院制度において、聖人の功績を積む行為となってしまっていた。服従する者の自己否定は、ここにおいて、敬虔な者の究極的な霊的自己主張としての正体をあらわした。そうすることによって、この世は修道士の生活のまっただ中に闖入して、そこで最も危険な仕方で再び活動した。修道士のこの世からの逃避は、最も洗練したこの世への愛であると見抜かれた。このような敬虔な生活の究極的な可能性の挫折の中で、ルターは恵みというものを把握したのである。彼は、修道士の世界が崩壊した時、神の救いのみ手がイエス・キリストにおいて差し伸べられているのを見た。彼はその神のみ手を、「どんなに立派な生活を送ろうとも、われわれのわざは空しい」ということに対する信仰において捕えた。そこで彼に賜物として与えられたのは、高価な恵みであった。その恵みが彼の全存在を打ち砕いたのである。彼は、自分の持っていた網をもう一度打ち捨てて、従って行かなければならなかった。最初修道院にはいった時、彼はすべてのものを捨てたけれども、ただ自分自身、彼の敬虔な自己というものだけは捨てなかった。しかし今やこの自己も、彼から取り去られたのである。彼は自分の功績によってではなく、神の恵みによって従った。<お前はまさに罪を犯した。しかしその罪はすべて赦されたのだ。お前がいたところにこれからもとどまっているがよい>。ルターはこう言われたのではない。ルターは修道院を去って、この世へと帰って行かねばならなかった。それは、この世それ自身が善であり、聖であると考えられたからではない。修道院もまた決してこの世と異なるところではなかったからである。

 ルターが修道院を出てこの世へと帰って行ったその道は、原始キリスト教以来、この世に向かって加えられた最も厳しい攻撃を意味した。修道士になった時にこの世に向かって発した宣戦布告は、この世に帰って行ったルターによってこの世がつきつけられた宣戦布告に比べれば、児戯にも等しいものであった。今や攻撃は真正面から加えられることになったのである。イエスに対する服従の生活は、この世のまっただ中でなされねばならなかった。修道院の生活という特別な環境に置かれ、またそのために便宜をも得て、特殊なわざとしてなされたことが、今や、この世にあるすべてのキリスト者にとって必然的なこと・戒めとして受けたこととなった。イエスの戒めに対する完全な従順が、毎日の職業生活の中で行ないとしてあらわされねばならなかった。こうして、キリスト者の生活とこの世の生活との間の相剋は、見のがすべからざる様相を呈して深まって行くばかりであった。キリスト者はこの世に向かって肉迫して行った。それはもう白兵戦であった。

 ルターの行動について、彼は純粋な恵みの福音の発見と共に、この世においてはイエスの戒めに対する従順が免除されることを宣言したのだと考え、また、宗教改革が発見したものは、赦しの恵みによってこの世を聖別し、義と認めることであったと考えることほど、致命的なルターの誤解はない。ルターにとっては、キリスト者がこの世でたずさわる職業は、その職業においてこの世に対するプロテストが最も鋭くなされていることによって、むしろ義とされることを経験する。キリスト者のこの世での職業がイエスに対する服従において果たされる限りにおいてのみ、キリスト者は福音から新しい義を受け取っている。罪の義認ではなくて罪人の義認こそ、ルターの修道院からの帰還の根拠であった。ルターに送られたものは、高価な恵みであった。恵みであったというのは、それが渇いた土地に注がれた水であり、不安に対する慰めであり、みずから選んだ道のとりことなっていた境涯からの解放であり、すべての罪の赦しであったからであり、その恵みが高価であったというのは、それが行為のわざを免除せずに服従への招きを無限に鋭くしたからである。しかし、高価な恵みは、まさに高価であった時にこそ恵みであり、恵みであった時にこそ高価であった。そういうことが、宗教改革の福音、すなわち罪人の義認の秘義であったのである。

 にもかかわらず、宗教改革の歴史上の勝利者は、いつまでもルターが得た純粋で高価な恵みに関する認識ではなく、恵みを一番安価に手に入れることのできるような場所を敏感にもかぎつける人間の宗教的本能であった。そこで必要だったものは、強調点を軽く、また目立たない程度に変えることだけであったが、実はそれによって最も危険かつ有害なことがなされたのである。ルターが教えたことは、人間は結局自己自身を追求するものであるから、どんなに敬虔な道を歩み、またどんなに敬虔なわざをなそうと、それによって神の前に立ちつづけることはできないということであった。ルターはこのような危急の中で、信仰においてすべての罪を自由かつ無条件に赦す赦しの恵みを把握した。その時彼が知ったのは、彼にとってこの恵みは自分の生命を賭ける値打のするものであり、しかも恵みは日々それを求めているということであった。というのも、彼はもちろん恵みによって服従を免除せられたのではないし、恵みを受けて初めて服従へと押しやられたからである。ルターが恵みについて語る時、彼は、恵みによって初めてイエスに対する全き従順の中に入れられている自分自身の生活のことを同時に考えていた。そういうふうに恵みについて語る以外の語り方を、彼は知らなかった。ルターの語ったのは、恵みだけが赦しを与えるということであったし、彼の弟子たちも、言葉の上では同じように繰り返し語ったのであるが、ただ一つ違っていたのは、ルターがいつも自明のこととして考えていたこと、つまり服従ということ――それは、彼がいつも、自分は恵みによってイエスに対する最も厳しい服従へと導かれた一人の人間なのだということを語ったがゆえに、それ以上にもはや言う必要のなかったことなのであるが――そのことを弟子たちが省略して、考えもせず言いもしなかったということである。したがって弟子たちの教説は、ルターの教説から見て論難の余地のないものではあったが、しかもそれは、この地上における神の高価な恵みの啓示としての宗教改革の終局かつ否定となった。この世における罪人の義認は、やがて罪とこの世の義認に変わった。高価な恵みは、やがて服従なしの安価な恵みに変わったのである。

 どんなに立派な生活を送ろうとも、われわれのわざは空しいということ、それゆえに神のみもとでは、「罪を赦す恵みと愛顧のほかは」何ものも効力がないということを、ルターは言った。そういうことを、ルターは、この瞬間に至るまで、さらにその瞬間に新しく、イエス・キリストに対する服従へと、自分の持っていたすべてのものの放棄へと召されていることを自覚した者として、言ったのである。恵みの認識は、彼にとって、自分の生活にあらわれた罪との究極的で決定的な断絶であり、決してその是認ではなかった。またその認識は、赦しを把握することによって、恣意的な生活に対する究極的で決定的な拒絶であり、そこにおいてこそ初めて、本来的に服従への真剣な招きであった。罪の認識はまた、彼にとって常に総括的な「結論」であったが、もちろんそれは神からの結論であって、人間の結論ではなかった。しかしこの答えは、ルターの後継者たちによって、一つの計算のための原則的な前提とせられた。ここに災いをもたらす根があった。恵みがもしキリストご自身から贈られたキリスト教的生活の「結論」であるならば、この生活は服従を免除される時は決してない。しかし、もし恵みがわたしのキリスト教的生活の原則的な前提であるならば、それによってわたしは、この世の生活でわたしのおかす罪の義認をあらかじめ得ているのである。わたしはこの恵みによって罪をおかすことができるし、この世は原則的には恵みによって義とされている。わたしは従来通りに自分の市民的・この世的存在をそのまま維持する。あらゆることが昔のままにとどまる。そしてわたしは、神の恵みが自分をおおっていることで安心してもよいのである。この世全体は、この恵みの下で「キリスト教的に」なった。しかしキリスト教は、この恵みの下で、かつてなかったほど世俗化してしまった。キリスト教的な職業生活と市民的・この世的なそれとの間の闘争は止揚された。キリスト教生活が成り立つのはまさに、わたしがこの世に、この世と同じように生きているということ、どのような事態に置かれようとこの世からわたしを離すものはないということ、もちろんわたしをこの世から離すことは――恵みのために――許されないということ、そこで自分の罪の赦しを確かめるために、いつかこの世の領域を去って教会の領域へとおもむくということ、まさにそのようなことにおいてである。わたしは、イエスに対する服従から、安価な恵みによって解放された。この安価な恵みというものは、服従の最も厳しい敵であり、真の服従を憎悪し、侮辱するに違いないものである。提としての恵みが安価な恵みであり、結論としての恵みが高価な恵みである。一つの福音的な真理がいかに語られ、いかに用いられるかということに、どういう意味で問題があるかということを認識するのは、恐るべきことである。ここで言われているのは、恵みによってのみ義とされるという同じ言葉である。しかもその同じ原則の誤用が、その本質の完全な破壊を生むのである。

 知識の探求に明け暮れたその生涯の終局に、ファウストが「われわれは何も知りえないのだということが、わたしには分かった」と言う時、それこそ結論なのであるが、しかしそれは、こういう言葉が自分の怠惰を正当化するために最初の学期に学生によって使われる場合とは全く違う(キルケゴール)。その言葉は結論としては真理であるが、前提としては自己欺瞞である。その意味は、一つの知識はそれが獲得された実存から切り離されることはありえないということである。自分の持っていたものをすべて放棄してイエスに対する服従に生きる者のみが、ただ恵みによって義とされると言うことが許される。彼は、服従への招き自身を恵みとして知り、また恵みをこの招きとして知る。しかし、この恵みによって服従をまぬがれようとする者は、みずからを欺くのである。