バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

聖霊の流れに乗るイカダ

 福島県の某秘湯に来ている。

 川がすぐ近くを流れていて、ゴーという川の音を聞き、木の間から顔を見せる月を見ながら、しばし秘湯を堪能した。

川の流れの音は、豊かな神様からの語りかけだった。一瞬も途絶えることのないゴーという音。上流から、絶え間なく水が流れてきているからだ。もちろん、大雨の後は大音量になり、日照りが続くと少しおとなしくなるだろう。しかし、この絶え間ない上流からの流れは、やがて海に注ぎ、蒸発し、雲となり、風に運ばれて、また山に雨となって降り注ぐ。そのダイナミックな循環は、人力をも遥かに超えて、大規模かつ精密。そして永続的である。

 聖霊の流れも同じだ。一人の人の努力、才能、機転などは聖霊の流れを思う時、岩に砕ける水しぶきのようなものだ。聖霊の流れに飛び込み、身を任せるように招かれていることを強く感じた。鷲もイナゴもバタバタと自分の羽を動かして進むのではなく、羽を広げて風に乗り、風が吹くままに運ばれていく。聖霊は風であり流れだ。私も、モーターボートやホバークラフトではなく、聖霊の大きな流れに運ばれるイカダとなりたい。