バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

真の多様性について

 昨日に引き続き、今日も午前中、実家の草刈りにいった。そして、今日もなかなか刺激的な出会いがいくつかあった。

まずは、玄関を開けたらいきなり、15cmくらいのムカデが家の中に上がりこもうとしていた。ぞったしたが、心を鬼にして踏み殺してしまった。ティッシュペーパーを4枚ほど手に取って拾い、ゴミ袋に入れた。お腹は白くて柔らかく、ウナギのような触感だった。

 しばらくして、今度は、蝶だか蛾だか(英語にはこの区別はない)がつがいのように向かい合って一体になって飛んでいる姿を発見した。「これはめずらしい、きっとチョウチョの交尾だ!」と一瞬思い、シャッタチャンスをうかがって、近づいていった。するとどうもおかしい。左右対称ではないのだ。チョウチョとチョウチョの取り合わせではなく、捕獲してきた他の生き物のようだった。空中をしばらく飛んで、ある葉っぱにとまり、しばらく食べようとしているように見えたが、まもなく捕獲物をおとしていなくなっていまった。今、ネットで調べたらチョウチョも蛾もいわゆるムシなどは食べないようなので、結局、私が見たものがなんだったのかよくわからない。けれども、イメージとしては、交尾かと思いきや、連行中だったみたいな感じ。

 また、しばらくして、今度は、私のげんこつより一回りか二回りくらい大きなカエルがピョコンと飛び出してきた。今調べたらタゴガエルというのに一番似ていたように思う。色は少し明るめの土色。これまた、気味がわるかったが、シャッターチャンスと思い、手を休め、胸ポケットからスマホを取り出す。一飛びして着地したあたりを見るといたいた。グロテスクに、目が思いっきり左右に分かれ、お腹の辺が膨れたり縮んだり。しかし、これがあまりにも上手にくぼみに潜んでしまったので、そのくぼみを上から覆っている笹が邪魔でカエルの全体像が見えない。カエルは、その打って付けのくぼみでダンマリ。そこで、私は考えた。人間の子供はジッとしていられず、いつも動き回っているが、高校生くらいになると落ち着いてくる。カエルはどうなんだろう。黙ってジッとしている方が身のため、という状況なら、生まれたてのカエルでもジッとしていられるのかな?と。

 実家の庭の草むしりを二日連続でしたが、実に楽しかった。自然は多様だ!神様の創造の世界は実に多様だ。

 

「しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。」(コリント人への手紙第一 15章38節、39節)