バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

2020-01-01から1年間の記事一覧

使徒の働きに出てくる7人の執事たちとイエス様

使徒の働き6章で、使徒たちが「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」と言って、御霊と知恵に満ちた評判のよい7人の人を選んで、初代教会での食事の配給の務めを任せることにした。 ①ステパノ、②ピリポ、③プロコロ、④…

イエスが準備された魚と弟子たちが取ってきた魚

ヨハネ21:1〜14にガリラヤ湖で漁に戻っていた弟子たちに復活の主が現れた記事。 岸には元々、イエス様がご自分で準備された魚が炭火焼きにやっていた。 そこに、不思議なイエスのアドバイスで弟子たちが取った153匹の魚から数匹が追加で並べられた。 イエス…

詩篇について普段から不思議に思っていたこと

150ある詩編の中で、世界中でもっとも愛され親しまれている詩編は23編でまちがいないだろう。しかし、もっとも詩編らしい詩編といえば、1編と119編が甲乙つけがたく双璧をなすのではないかと私は思う。 【詩編第1編】 1 幸いな者 悪しき者の謀に歩まず 罪人…

ルカ福音書における「神の国」

ルカ福音書には「神の国」という表現は、32回(31節)出てくる。 それを私なりに分類してみると以下のようになる。 ①宣べ伝えるべき福音の内容 4:43, 8:1, 9:2, 9:11, 9:60, 16:16, ②たとえで伝える主題 8:10, 1318, 13:20, ③旧約の生徒などはすでに入っ…

ルカ福音書における「金持ち」と救い

ルカ福音書には、「金持ち」という言葉は、15回出てくる。 マタイが3回、マルコが2回、あとは、テモテⅠ、ヤコブ書、黙示録に1回ずつで、新約聖書全体で、23回中ルカが15回で65%以上を一手にルカが担当している。 以下にルカ福音書で「金持ち」が出てくる箇…

ルカ福音書の「いなくなった息子のたとえ」に至るまで

今朝、ルカの14章の途中から15章の終わりまでを読んだ。章をまたがって読んだため、一つの発見をした。 14章25節から「弟子の条件」というセクションがある。 ①父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命さえも憎まないない者があれば、 ②自分の十字架を負…

ヨハネによる福音書の前半の登場人物

ヨハネによる福音書の前半は、一章ごとに一人の人物がイエスと出会い、イエスとの間に噛み合わない会話がなされたり、イエスに変えられていったり、という展開が基本的には繰り返される。勿論すべての章でこのすべての要素が盛り込まれているわけではないが…

変貌山での祈りと会話(想像編)

ルカでは「イエスは、…祈るために山に登られた。」と、変貌山に登られた理由が明記されている。 ①イエスの顔の様子が変わり ②衣は白く光り輝いた ③モーセとエリヤが栄光に包まれて現れ、 ④イエスとイエスのご最期について話していた ペトロと仲間たち(=ヨ…

イエスの衣の裾に触れる

ルカ8章40節から「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」の記事が展開する。 このところ、神の全知全能について少し頭の隅に置いていつも考えている。 神が全知全能ならすべてをご存知なはずなので、驚いたり、怒ったりされるのは矛盾ではないか。 しかし、実…

ルカにおけるたとえ

今朝、ルカの7章後半から8章前半を読んでいたら一つの発見をした。7章36節から、イエス様があるファリサイ派の人から招かれてその人の家に行き、食事をすることになった。(これだけでもプチ驚き、プチ発見であった。イエス様を食事に招いたファリサイ派の人…

イエスの洗礼者ヨハネへの宣教レポート

ルカ7:22 それで、こうお答えになった。 「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。 目の見えない人は見え、 足の不自由な人は歩き、 規定の病を患っている人は清められ、 耳の聞こえない人は聞こえ、 死者は生き返り、 貧しい人は福音を告げ知らされ…

洗礼者ヨハネのことばも“福音”

ルカ3:18 「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」 ルカにおいては、3章1節から20節まで詳しく洗礼者ヨハネの働きが記されている。 ①イザヤ書40:4-6の引用により、洗礼者ヨハネの役割がメシアであるイエスの道備えであ…

ルカ福音書は徹底的にマリア中心(ヨセフに対して)

ルカ福音書でヨセフについての言及は ①1:27・・・マリアへの受胎告知、マリアの婚約者として言及 ②2:4・・・人口登録、ナザレからベツレヘムへの旅 ③2:16・・・クリスマスの夜、羊飼いらが探し当てた先で「マリアとヨセフ」と記述 ④3:23・・・ルカにおける系図の最初、マ…

詩篇42,43の“神”の呼び名(新改訳2017に準拠)  

詩篇42,43の“神”の呼び名(新改訳2017に準拠) 呼び手 呼び名 42篇での節 43篇での節 詩篇の記者 神 1, 2, 3, 4, 5, 11 1, 4, 5 あなた 1, 6, 7, 9 2, 3, 4 生ける神 2 (御顔の救い) 5 私の神 5, 11 4, 5 主 8 主 8 私のいのちなる神 8 わが岩なる神 9 (…

執り成しの祈り(ヨブとアブラハム)

ヨブ記の最後には、不思議な執り成しの祈りが出てくる。 神は、ヨブの3人の友人を既に赦すことを決めていながら、なお、ヨブの執り成しの祈りを必要とする。 ヨブが、友人のために執り成しの祈りをする時点で、ヨブの健康の回復は明記されていない。 ヨブが…

「わたしが(出て)来たのは‥‥」in マルコ福音書

「わたしが(出て)来たのは‥‥」in マルコ福音書 私がピックアップできたのは以下の三つである。 ①1章38節 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」 ②…

イエスと父なる神との距離

今朝読んだマルコ10:17から始まる「金持ちの男」の記事の冒頭部分が引っ掛かった。 イエスは言われた「なぜ私を『善い』と言うのか。神おひとりのほかに善い者は誰もいない。」 これを額面通り受け取ると、 ①イエスと神は別もの ②“善い”という言い方は神にの…

ぺヌエルのヤコブ

「ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるか…

汚れた霊に取り付かれた子を癒す(今朝の通読から)

マルコ9:14-37 以下は、イエスの言葉のみの抜き書き 「何を議論しているのか」 「なんと不信仰な時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで私はあなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れてきなさい。」 「い…

関根文之助の「聖書のことばと日本語」を読んで

昭和57(1982)年発行の関根文之助著「聖書のことばと日本語」(福永書店)という本を、古書で買って読んだ。著者も書名も知らなかったが、別の本を読んでいて引用されていたのが、きっかけだった。全体としては、現在の私の興味に合わないところも多く、かな…

マルコ福音書1~3章の研究

マルコ福音書の研究 普段読んでいる聖書は新改訳2017だが、小見出しがついているため勉強には使いやすいので、以下の表は聖書協会共同訳に基づく。 見出しは、必ずしも聖書協会共同訳そのままではなく適当に字数のために改編している。 見出し(聖書箇所) …

アブラハムの生涯に思う

アブラハムの生涯は、3つの大きな試練にまとめることがでる。 ①行くところを知らずして出て行けとの召し(創世記12章~)、 ②約束の子がいつまでも与えられないジレンマ(15章~)、 ③イサクを献げよとの不条理(22章)。 それぞれを比較対象しながら、簡単…

人は何者なので、あなたはこれを育て、これをあなたの心に止め置くのか(ヨブ七・17)

人は何者なので、あなたはこれを育て、これをあなたの心に止め置くのか(ヨブ七・17) この箇所を今朝読んだとき、「おっ、これは詩篇8編のことばと同じだ。だけど、両者の文脈は真逆だ。詩篇八・3,4(新共同訳では5節)は、いと小さな人間である自分を神…

ヨブはイスラエル人ではなかった!!!

数日前からヨブ記を読んでいる。今回は教分館から出ている関根正雄訳で読んでいる。 関根正雄訳には、各章が終わるごとに、短い解説がところどころついている。 ヨブ記は「ウツの地にヨブという名の人がいた。」で始まる。 これについて関根正雄は、こう注釈…

偽善者の心を鋭く射貫くイエスのことば

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。 あなたがたは、ミント、ディル、クミンの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な公正、慈愛、誠実をないがしろにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一の献げ物も…

服従と個人(ボンヘッファー 「キリストに従う」)

今回は長文なので、太字のところだけ読んでいただければよいかと思います。 服従と個人 《「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」》(ルカ一四・二六)。 …

イシュマエルは、嬰児イエスと少年イエスのひな型

【イシュマエル】 (創世記16:11,12) 「身よ。あなたは身ごもって 男の子を産もうとしている。 その子をイシュマエルと名づけなさい。 主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。 彼は、野生のろばのような人となり、 その手は、すべての人に逆らい すべ…

「信仰のみによって救われること」と「十字架を負うこと」

福音書に最初に「十字架」という言葉が出てくるのは、 マタイ10:38「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」のところである。 この箇所は、10:34に「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思って…

聖書に書かれている「契約」のまとめ

聖書に書かれている「契約」のまとめ 内容 しるし 対象 ノアとの契約 洪水と火とでは滅ぼさない(創世記9:11) 雲の中の虹(創世記9:16) すべての生き物 アブラハムとの契約 ①わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となる。(創世記17:7)②約束の地の所…

あなたは良くなりたいか。 ヨハネ5:1-9

2020年7月10日(金) 聖書研究 聖書箇所 ヨハネによる福音書5章1節~9節、新約聖書171頁 1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊…