バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

2020-08-03から1日間の記事一覧

執り成しの祈り(ヨブとアブラハム)

ヨブ記の最後には、不思議な執り成しの祈りが出てくる。 神は、ヨブの3人の友人を既に赦すことを決めていながら、なお、ヨブの執り成しの祈りを必要とする。 ヨブが、友人のために執り成しの祈りをする時点で、ヨブの健康の回復は明記されていない。 ヨブが…

「わたしが(出て)来たのは‥‥」in マルコ福音書

「わたしが(出て)来たのは‥‥」in マルコ福音書 私がピックアップできたのは以下の三つである。 ①1章38節 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」 ②…

イエスと父なる神との距離

今朝読んだマルコ10:17から始まる「金持ちの男」の記事の冒頭部分が引っ掛かった。 イエスは言われた「なぜ私を『善い』と言うのか。神おひとりのほかに善い者は誰もいない。」 これを額面通り受け取ると、 ①イエスと神は別もの ②“善い”という言い方は神にの…

ぺヌエルのヤコブ

「ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるか…

汚れた霊に取り付かれた子を癒す(今朝の通読から)

マルコ9:14-37 以下は、イエスの言葉のみの抜き書き 「何を議論しているのか」 「なんと不信仰な時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで私はあなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れてきなさい。」 「い…

関根文之助の「聖書のことばと日本語」を読んで

昭和57(1982)年発行の関根文之助著「聖書のことばと日本語」(福永書店)という本を、古書で買って読んだ。著者も書名も知らなかったが、別の本を読んでいて引用されていたのが、きっかけだった。全体としては、現在の私の興味に合わないところも多く、かな…

マルコ福音書1~3章の研究

マルコ福音書の研究 普段読んでいる聖書は新改訳2017だが、小見出しがついているため勉強には使いやすいので、以下の表は聖書協会共同訳に基づく。 見出しは、必ずしも聖書協会共同訳そのままではなく適当に字数のために改編している。 見出し(聖書箇所) …

アブラハムの生涯に思う

アブラハムの生涯は、3つの大きな試練にまとめることがでる。 ①行くところを知らずして出て行けとの召し(創世記12章~)、 ②約束の子がいつまでも与えられないジレンマ(15章~)、 ③イサクを献げよとの不条理(22章)。 それぞれを比較対象しながら、簡単…

人は何者なので、あなたはこれを育て、これをあなたの心に止め置くのか(ヨブ七・17)

人は何者なので、あなたはこれを育て、これをあなたの心に止め置くのか(ヨブ七・17) この箇所を今朝読んだとき、「おっ、これは詩篇8編のことばと同じだ。だけど、両者の文脈は真逆だ。詩篇八・3,4(新共同訳では5節)は、いと小さな人間である自分を神…

ヨブはイスラエル人ではなかった!!!

数日前からヨブ記を読んでいる。今回は教分館から出ている関根正雄訳で読んでいる。 関根正雄訳には、各章が終わるごとに、短い解説がところどころついている。 ヨブ記は「ウツの地にヨブという名の人がいた。」で始まる。 これについて関根正雄は、こう注釈…

偽善者の心を鋭く射貫くイエスのことば

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。 あなたがたは、ミント、ディル、クミンの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な公正、慈愛、誠実をないがしろにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一の献げ物も…

服従と個人(ボンヘッファー 「キリストに従う」)

今回は長文なので、太字のところだけ読んでいただければよいかと思います。 服従と個人 《「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」》(ルカ一四・二六)。 …

イシュマエルは、嬰児イエスと少年イエスのひな型

【イシュマエル】 (創世記16:11,12) 「身よ。あなたは身ごもって 男の子を産もうとしている。 その子をイシュマエルと名づけなさい。 主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。 彼は、野生のろばのような人となり、 その手は、すべての人に逆らい すべ…

「信仰のみによって救われること」と「十字架を負うこと」

福音書に最初に「十字架」という言葉が出てくるのは、 マタイ10:38「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」のところである。 この箇所は、10:34に「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思って…

聖書に書かれている「契約」のまとめ

聖書に書かれている「契約」のまとめ 内容 しるし 対象 ノアとの契約 洪水と火とでは滅ぼさない(創世記9:11) 雲の中の虹(創世記9:16) すべての生き物 アブラハムとの契約 ①わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となる。(創世記17:7)②約束の地の所…

あなたは良くなりたいか。 ヨハネ5:1-9

2020年7月10日(金) 聖書研究 聖書箇所 ヨハネによる福音書5章1節~9節、新約聖書171頁 1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊…

善悪の知識の木

「神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。」(創世記2章9節) 「神である主は人に命じられた。『あなたは園の度の木からでも思いのまま食べてよい。し…

マタイ 12章 …にまさるもの

マタイの12章には、イエス様がご自分のことを「…にまさるもの」と表現したされたものが4つある。 ①神殿(=特別な場所)より偉大なものがここにある。(6節) ②人の子は安息日の主なのである。=安息日(=特別な日)より偉大なものがここにいる。(8節)…

イエスのネガティブ・ワード

マタイの8章5節~13節には、“百人隊長のしもべの癒し”が書かれている。「わざわざあなたにおいでいただくほどの資格が自分にはありません。おことばをいただければ癒されます。」と言った異邦人百人隊長の信仰をイエス様はべた褒めし「イスラエルのうちのだ…

ツァアラトに冒された人の癒し(マタイ8:1~4)

この箇所は、マタイ福音書で山上の説教が終わって、イエス様が山を降りてから初めての出来事として記されているので、非常に位置的に重要なものである。ある意味、山上の説教は御国の理念を言葉で連続講義されたものであるが、山からおりて実社会でそれがど…

わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。(創世記17:1,2)

わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。(創世記17:1) 主はここにいたるまでも何度もアブラハムに現れて語りかけておられる。 しかし、この創世記17章1節にはそれまでにない3つの新しいことがある。 1つは、神が「わたしは…で…

サライとハガル 不条理の神

「アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。…」創世記16:3-4a ハガルは、上記でもそう呼ばれているよ…

宣教の主体と方法と内容 「キリスト教の歴史(上)」越川弘英

…キリスト教の誕生から数世紀間にわたってカリスマ性を帯びた奇跡行為者や巡回説教者などが存在し、各地で宣教者として活躍したことが知られている。ペトロやパウロたちもそうした宣教の専門家というべき存在であった。しかしこの時代におけるもっとも重要な…

イエスの荒野の試み

マタイ福音書の3章、4章を続けて読んでいくと、前ブログで書いたように、3章最後のイエス受洗の記事では、イエスとバプテスマのヨハネの結びつきが心に残るが、その印象をもったまま4章に入ると、今度は、イエスと悪魔との結びつきの深さが強く心に迫っ…

イエス様の受洗

イエス様は、バプテスマのヨハネに洗礼を申し出たとき、バプテスマのヨハネから待ったをかけられう。そして、「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、われわれにふさわしいことです。」(聖書協会共同訳)と仰った。 私は、ずっと、この「正し…

真実(マタイ 5:33−37)キリストの従う ボンヘッファー

真実 マタイ 5:33−37 完全な真実は、おおいを取り去られた罪からのみ生じる。そしてその罪もまた、イエスによって既に赦しを与えられているのである。イエスに対しての罪の告白をしながら真実の中に立つ者だけが、どこで真実を語らねばならないとしても、そ…

「しなやかな超人」か「完璧なひきこもり」か 対談ー西研✖斎藤環 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

「しなやかな超人」か「完璧なひきこもり」か 対談ー西研✖斎藤環 西 ニーチェが説いた超人のように、他者からの承認を必要とせず、自分が本当にやりたいこと、内側から溢れ出てくるものを見つけられないのも原因かな、といまのお話を聞いて思ったのですが。 …

「悦びと創造性の精神」をもって生きる 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

「悦びと創造性の精神」をもって生きる さて、最後に、「表現のゲーム」を育てていくさいに大切なポイントをお話しして、第4章を終えたいと思います。それは、先にあげた三つの意義の①に関係してくるのですが、「安心して語り合える空間はどうやったらつく…

第3章 永遠回帰とは何か 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

第3章永遠回帰とは何か 人生のあらゆるものが永遠に戻ってくる 本章ではいよいよ「永遠回帰」を取り上げます。正確には「同じもの(同一物)の永遠回帰」といいます。 『ツァラトゥストラ』第三部、第四部のテーマであると同時に、この本の中心思想といってい…

ルサンチマン 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

ルサンチマン――無力からする意志の歯ぎしり 以上、ニーチェの人となりがわかるように人生を追ってきましたが、この章では『ツァラトゥストラ』を理解するうえで大切な言葉を一つ覚えていただけたらよいと思います。一つは「ルサンチマン」で、もう一つは「価…