バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

真実(マタイ 5:33−37)キリストの従う ボンヘッファー

真実 マタイ 5:33−37
 

完全な真実は、おおいを取り去られた罪からのみ生じる。そしてその罪もまた、イエスによって既に赦しを与えられているのである。イエスに対しての罪の告白をしながら真実の中に立つ者だけが、どこで真実を語らねばならないとしても、その真実を恥とすることはない。イエスがその弟子に求め給う真実は、罪を隠すことをしないで自己否定において成り立つ。

 
中略
 
われわれについての神の真実としての十字架だけが、われわれを真実なものにする。十字架を知る者は、もはやそれよりほかの真実を恐れない。
 
中略
 
人間に対する真実なしにイエスに対する真実はない。嘘は交わりを破る者である。これに対して、史実は偽りの交わりを断ち切り、純正な兄弟としての交わりの基をすえる。神と人とに対しておおいを取り去った真実において生きる生活なしに、イエスに対する服従はないのである。