バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

ボンヘッファー

服従と個人(ボンヘッファー 「キリストに従う」)

今回は長文なので、太字のところだけ読んでいただければよいかと思います。 服従と個人 《「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」》(ルカ一四・二六)。 …

罪の告白と兄弟 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 10

私たちを助けるためにキリストは私たちの兄弟となられた。今やそのキリストを通して私たちの兄弟が、キリストから委託された権能において私たちのためのキリストとなった。兄弟は、神の真理と恵みのしるしとして、私たちの前に立っている。兄弟は、助ける者…

罪の告白と交わり 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 9

互いにその罪を告白し合いなさい」(ヤコブ5:16)。自分の悪を抱えたままひとりであり続ける者は、全くひとりのままである。キリスト者たちが礼拝を共にし、祈りを共にし、また奉仕におけるあらゆる交わり〔を持っている〕にもかかわらず、ひとりで、交わりへ…

聞くという奉仕 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 8

交わりの中でひとりがほかの人に負っている第一の奉仕は、<その人の言葉に深く耳を傾ける>ということにおいて成り立つ。神への愛は私たちが神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛の始まりは私たちが兄弟の言葉を聞くようになることである。 中略 …

仕えること 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 7

キリスト者の交わりにおいては、すべてのことは各々が一本の不可欠の環となることに掛かっている。最も小さな環もしっかり組み合わされているときにのみ、鎖は切れることがない。何もすることのない不要なメンバーがそこにいることを許すような交わりは、そ…

ひとりでいることと沈黙 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 6

言葉が交わりの標識であるように、ひとりでいることの標識は沈黙である。沈黙と言葉は、ちょうどひとりでいることと交わりとの関係と同様に、内的な結合と区別の関係にある。一方なしに他方はありえない。正しい言葉は沈黙から来るように、正しい沈黙は言葉…

聖書について 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 3

聖書は個々の句からできているのではなく、一つの全体であり、そのようなものとして力を発揮するのである。 聖書は全体として神の啓示の言葉である。その限りない内的関係において初めて、すなわち旧約と新約、約束と成就、犠牲と律法、律法と福音、十字架と…

ひとりでいることと交わり 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 5

ひとりでいることのできない人は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい。そのような人は、自分自身と交わりとをただ傷づけるだけである。 中略 しかしその逆の命題もまた真である――交わりの中に入れない人は、一人でいることを用心しなさい。あなたは教会の…

人間的な愛と霊的な愛 「共に生きる生活」ボンヘッファーより 3

人間的な愛は自分自身のために他者を愛し、霊的な愛はキリストのために他者を愛する。したがって人間的な愛は他者との直接的な接触を求め、他者を自由な人間としてではなく、自分につながれている者として愛し、あらゆる手段をつくして獲得しようとし、征服…

キリストに従う ボンヘッファー 第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 高価な恵み

第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 【高価な恵み】 安価な恵みは、われわれの教会にとって許すべからざる宿敵である。われわれの戦いは今日、高価な恵みをめぐって戦われている。 安価な恵みとは、見切品としての恵みのことであり、投げ売りされた赦し・…

共に生きる生活 ディートリッヒ・ボンヘッファー著 森野善右衛門訳 から 1

P.27 ……キリスト者の交わりの中に持ち込まれるすべてのこのような人間的理想は、真正の交わりを阻害するものであり、したがって真正の交わりが存続しうるためには、そのような理想像は打ち砕かれなければならない。キリスト者の交わりそれ自身よりも、キリス…

「ボンヘッファー -反ナチ抵抗者の生涯と思想」宮田光雄 岩波現代文庫より

P.307……これまでの年月の間、ただ自己保存のためにだけ戦ってきたわれわれ教会は、人びとのため、またこの世のための和解と救いの言葉の担い手である力をなくしてしまった。だから、これまでの言葉は無力になり、口がきけない状態にならざるをえない。そして…