言葉が交わりの標識であるように、ひとりでいることの標識は沈黙である。沈黙と言葉は、ちょうどひとりでいることと交わりとの関係と同様に、内的な結合と区別の関係にある。一方なしに他方はありえない。正しい言葉は沈黙から来るように、正しい沈黙は言葉から来る。
言葉が饒舌を意味しないように、沈黙は口がきけない状態を意味しない。口がきけない状態がひとりでいることを生み出さないように、饒舌は交わりを生み出さない。「沈黙は言葉の過剰であり、言葉の酩酊状態であり、言葉の捧げものである。しかし口がきけない状態は損なわれた状態にすぎず、犠牲に捧げられない物がそうであるように神聖ではない。……
ザカリヤは沈黙したのではなく口がきけなかったのである。〔ルカ1:20〕
もし彼が掲示を受け入れたなら、きっと口がきけない状態ではなく、沈黙して神殿から出てきたであろう。」(エルネスト・ヘロー)