バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

「ボンヘッファー -反ナチ抵抗者の生涯と思想」宮田光雄 岩波現代文庫より

 

P.307
……これまでの年月の間、ただ自己保存のためにだけ戦ってきたわれわれ教会は、人びとのため、またこの世のための和解と救いの言葉の担い手である力をなくしてしまった。だから、これまでの言葉は無力になり、口がきけない状態にならざるをえない。そして、われわれがキリスト者であるということは、今日では、ただ二つのことにおいてのみ成り立つであろう。すなわち、祈ることと人びとのあいだで正義を行うことだ。

P.312
キリスト者とは《宗教的人間》(homo religiosus)ではなく、単純に人間なのだ。ちょうどイエスが、――バプテスマのヨハネとは違って――人間であったように。

キリスト者であることは、人間であることだ。それは、一つの人間類型ではなく、キリストがわれわれの中に創造したもう人間のことだ。キリスト者を作るのは、宗教的な行為ではなく、この世の生活の中で神の苦難に参与することなのだ。

P.324
教会は、他者のために存在するときにのみ教会である。