バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

宣教の主体と方法と内容 「キリスト教の歴史(上)」越川弘英

 …キリスト教の誕生から数世紀間にわたってカリスマ性を帯びた奇跡行為者や巡回説教者などが存在し、各地で宣教者として活躍したことが知られている。ペトロやパウロたちもそうした宣教の専門家というべき存在であった。しかしこの時代におけるもっとも重要な宣教の担い手は、こうした専門家ではなく、むしろ一般の信徒たちであったと考えられている。数多くの無名の信徒たちが、男女の別なく、日常生活や仕事を通して周囲の人々にキリスト教を伝達していったのである。宣教学者D・ボッシュによれば、「初代教会の宣教において、巡回説教者や修道士のはたらきよりもはるかに重要だったことは、信徒の行い、すなわち彼らの口と生活によって伝わった「愛の言語」であった。それはいわば、「行いによる布教」である。」(『宣教のパラダイム転換(上)』325頁)と述べている。「平凡なキリスト者の模範的な生活、」すなわち信仰に基づくその生き方や仲間意識こそが、キリスト教の最初の数世紀間における急速な成長の原動力となったのである。各地に定住するキリスト教徒が近隣の人々に宣教する一方、長い距離を移動するキリスト教徒たち、すなわち船員、移住者、商人、役人、兵士、奴隷、そして戦争捕虜となったキリスト教徒たちも帝国の各地にキリスト教を伝える役割を担った。
 
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 キリスト教徒がみずからの生活や行動を通して信仰を伝えるという宣教の働きの中には、非常時における病人の看護、死者の埋葬、貧者への慈善なども含まれていた。一例を挙げれば、165年と251年にローマ帝国で大規模な疫病(天然痘?)が流行した時、多くの人々が年から逃げ出しが、キリスト教徒は仲間のみならず異教徒を含めて看護を行い、ついにはそれによって自らの命を失う者も出たという。しかしこうした災厄をキリスト教徒はみずからに課された信仰的な試練とみなし、その死は殉教に比すべきものとして、また神による「永遠の命」への解法として受けとめられた。このような信徒の行為と信念が多くの人々を魅了し教会に引き寄せる結果を生んだことはなちがいない。
 キリスト教徒のこうした姿は当時の異教徒たちの上にも強い印象を及ぼした。
 
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 E ・R・ドッズは、キリスト教の宣教が成功した要因として、キリスト教が排他的な宗教であったこと、そしてそれと同時に教会がコミュニティとしての強い一致と連帯感を有し、精神的にも物質的にも信徒のニーズに十分に応えたことを挙げている。キリスト教の排他性は「不安な時代」を生きる人々に強い確信を与え、人々を惹きつける力をもっていた。さらにドッズによれば、キリスト教はたんに排他的であっただけではなく、他方ではつねに外部に向かって積極的に宣教しつづける開かれた団体でもあったという。
 
 このようにして教会はつねに新たな人々を迎え入れつつ、「国家内国家」のようなコミュニティを形成していった。それは実生活における物質的な困窮(住居、仕事、食物、病気の看護など)に対する相互扶助の場となっただけでなく、現世と来世における一貫した価値観と帰属感を与えることのできるコミュニティだった。教会は死後にまで及ぶ「永遠の命」という究極的な希望と安心を人々に提示したのであり、こうした信仰と霊性が次項で取り上げる殉教という行為にも横たわっていたのである。
 
P.59-63