バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

イエス

洗礼者ヨハネのことばも“福音”

ルカ3:18 「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」 ルカにおいては、3章1節から20節まで詳しく洗礼者ヨハネの働きが記されている。 ①イザヤ書40:4-6の引用により、洗礼者ヨハネの役割がメシアであるイエスの道備えであ…

「わたしが(出て)来たのは‥‥」in マルコ福音書

「わたしが(出て)来たのは‥‥」in マルコ福音書 私がピックアップできたのは以下の三つである。 ①1章38節 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」 ②…

イエスと父なる神との距離

今朝読んだマルコ10:17から始まる「金持ちの男」の記事の冒頭部分が引っ掛かった。 イエスは言われた「なぜ私を『善い』と言うのか。神おひとりのほかに善い者は誰もいない。」 これを額面通り受け取ると、 ①イエスと神は別もの ②“善い”という言い方は神にの…

汚れた霊に取り付かれた子を癒す(今朝の通読から)

マルコ9:14-37 以下は、イエスの言葉のみの抜き書き 「何を議論しているのか」 「なんと不信仰な時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまで私はあなたがたに我慢しなければならないのか。その子を私のところに連れてきなさい。」 「い…

マルコ福音書1~3章の研究

マルコ福音書の研究 普段読んでいる聖書は新改訳2017だが、小見出しがついているため勉強には使いやすいので、以下の表は聖書協会共同訳に基づく。 見出しは、必ずしも聖書協会共同訳そのままではなく適当に字数のために改編している。 見出し(聖書箇所) …

偽善者の心を鋭く射貫くイエスのことば

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。 あなたがたは、ミント、ディル、クミンの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な公正、慈愛、誠実をないがしろにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一の献げ物も…

イシュマエルは、嬰児イエスと少年イエスのひな型

【イシュマエル】 (創世記16:11,12) 「身よ。あなたは身ごもって 男の子を産もうとしている。 その子をイシュマエルと名づけなさい。 主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。 彼は、野生のろばのような人となり、 その手は、すべての人に逆らい すべ…

あなたは良くなりたいか。 ヨハネ5:1-9

2020年7月10日(金) 聖書研究 聖書箇所 ヨハネによる福音書5章1節~9節、新約聖書171頁 1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊…

マタイ 12章 …にまさるもの

マタイの12章には、イエス様がご自分のことを「…にまさるもの」と表現したされたものが4つある。 ①神殿(=特別な場所)より偉大なものがここにある。(6節) ②人の子は安息日の主なのである。=安息日(=特別な日)より偉大なものがここにいる。(8節)…

イエスのネガティブ・ワード

マタイの8章5節~13節には、“百人隊長のしもべの癒し”が書かれている。「わざわざあなたにおいでいただくほどの資格が自分にはありません。おことばをいただければ癒されます。」と言った異邦人百人隊長の信仰をイエス様はべた褒めし「イスラエルのうちのだ…

ツァアラトに冒された人の癒し(マタイ8:1~4)

この箇所は、マタイ福音書で山上の説教が終わって、イエス様が山を降りてから初めての出来事として記されているので、非常に位置的に重要なものである。ある意味、山上の説教は御国の理念を言葉で連続講義されたものであるが、山からおりて実社会でそれがど…

イエスの荒野の試み

マタイ福音書の3章、4章を続けて読んでいくと、前ブログで書いたように、3章最後のイエス受洗の記事では、イエスとバプテスマのヨハネの結びつきが心に残るが、その印象をもったまま4章に入ると、今度は、イエスと悪魔との結びつきの深さが強く心に迫っ…

イエス様の受洗

イエス様は、バプテスマのヨハネに洗礼を申し出たとき、バプテスマのヨハネから待ったをかけられう。そして、「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、われわれにふさわしいことです。」(聖書協会共同訳)と仰った。 私は、ずっと、この「正し…