【イシュマエル】
(創世記16:11,12)
「身よ。あなたは身ごもって 男の子を産もうとしている。
その子をイシュマエルと名づけなさい。
主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。
彼は、野生のろばのような人となり、
その手は、すべての人に逆らい
すべての人の手も、彼に逆らう。
彼はすべての兄弟に敵対して住む。」
(創世記21:20)
「神が少年とともにおられたので、彼は成長し、
荒野に住んで、弓を射るものとなった。」
【イエス】
(ルカ1:31,32)
「見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなるものとなり、
いと高き方の子と呼ばれます。」
(ルカ2:34, 35)
「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が
倒れたり立ち上がったりするために定められ、
また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
あなた自身さえも、剣が刺し貫くことになります。
それは多くの人の内の思いが、あらわになるためです。」
(ルカ2:52)
「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増しくわわり、
背丈も伸びていった。 」
イサクは、創世記21章で誕生。8日目の割礼、乳離れの日の盛大な宴会についての 言及があるが、その後は22章のモリヤ山での記事になる。イサクの年齢についての記述はないが、 全焼のささげ物のための薪をイサクが背負って、3日、4日進んだので、すでに青年になっていたと想像される。それゆえ、イサクの少年時代の記述はない。それに対して、イシュマエルの少年時代の記述がわずかだがあり、そちらがイエスの少年時代の記述の下敷きになっている。
神様の祝福はイサクの子孫を通して引き継がれ、やがてその子孫に救い主イエス様がお生まれになる。しかし、そのイエスの描写は、約束の子ではないイシュマエルについての記述が用いられている。それは、神様のイシュマエル(とハガル)に対する神様の憐みをなんらかのかたちで表しているような気がする。