バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

創世記6章〜9章(ノアの大洪水)を読んで

①増水から転じて水が引き始めた分水嶺にあるもの

8:1を見ると「神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。」とある。

太陽が輝り始めて水が蒸発を始めた、となんとなく思っていたが、神様が用意されたものは、熱ではなく風だった。

滅びから命へ、というこれ以上大きなものはない大転換をもたらすものは、いきなり熱ではない。風だ。新しい風だ。神様が吹かせる風だ。創世記1:2の「神の霊がその水の面を動いていた。」とある、“霊”とここでの“風”は同じルアーだ。原初の混沌に秩序あらしめたのと同じ、水の上に神の霊が、神が吹かす風が吹き付ける。これだけが、本当に新しいことを始める力である。

更に言うと、この風が吹く前にあったことが一つだけある。それは、「神は……覚えておられた。」(創世記8:1)と言うことだ。この風は、神の懐から、私たち罪人に対する止めることのできない神の熱い憐れみから吹いてくる。

 

②契約のしるし

これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」(創世記9:17)

「虹が雲のなかにあるとき、わたしはそれを見て、……永遠の契約を思い起こそう。」(創世記9:16)

このいわゆる「ノアの契約」の定式は、主が最後の晩餐の席で聖餐式を制定されたときの文言と酷似している。

違いは、聖餐式では、「これを飲むたびに思い起こしなさい」となっていて“思い起こす”のは“私たち”であるが、ノアの契約では、虹を見るたびに、“神の側”が“思い起こそう”と約束しておられる点。

 

③こうして彼は死んだ(創世記9:29)

ノアの大洪水の記述の最後の言葉だ。28節から引用すると「ノアは大洪水の後、350年生きた。ノアの全生涯は950年であった。こうして彼は死んだ。」となっていて、これは、創世記5章にあるアダムからレメクまでの系図の定型に則っている。5章ではノアに至ってこの定型が破られるが、6章から9章までの長い洪水物語を挟み、実は、この定型はノアの生涯をも包み込む。

その前にいささか衝撃的な発見があった。「主は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で主はこう言われた。『わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。』」(創世記8:21)この大洪水でノアの家族以外の生きとし生けるものをすべて一掃して、義人ノアとその家族から地上のすべての種族が分かれ出るようにされたと記されているのにも関わらず、方舟から出てノアが最初に行った全焼のささげ物の香を嗅いで主の心に通ったことがこれだったのだ。「人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。」これは、洪水によっても変わらなかったのか!そして、義人ノアもアダムからレメクと同じように死んでいった。