バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

2020-08-03から1日間の記事一覧

尋ね合う関係(西研「ニーチェ ツァラトゥストラ」より)

尋ね合う関係が場のなかにできていくと、メンバーは安心します。誤解が少なくなり、仮に誤解が生まれてもすぐにその場で訂正ができるからです。「本当に自分がいいたいことをいついっても大丈夫なんだ」という安心感が生まれる。この安心感が土台となって、…

自立(西研「ニーチェ ツァラトゥストラ」より)

…目の見えない学生が大学のゼミに来たことがあります。ゼミ生もぼくもどこまで気を遣えば良いのか、あるいは気を遣う必要はないのか、よくわからなくて、最初少し戸惑いがありました。どこで、「何か必要なことがありますか?」と彼に聞くと、「では一つだけ…

守破離

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の…

過越の祭り(関根正雄訳聖書の注から)

元来家ごとの祝いだった(出エジプト記12:43以下)が申命記(16:1以下)でエルサレムでの祝いとされた。

ヨハネ3:16

今日、お読みしましたヨハネによる福音書3章16節は、多くの人から「聖書中の聖書」と言われているところです。また、聖書がなくなっても、このヨハネ3章16節が残れば、聖書全体が残っているに等しい、というような言い方をする人もいます。 それほどに…

罪の告白と兄弟 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 10

私たちを助けるためにキリストは私たちの兄弟となられた。今やそのキリストを通して私たちの兄弟が、キリストから委託された権能において私たちのためのキリストとなった。兄弟は、神の真理と恵みのしるしとして、私たちの前に立っている。兄弟は、助ける者…

罪の告白と交わり 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 9

互いにその罪を告白し合いなさい」(ヤコブ5:16)。自分の悪を抱えたままひとりであり続ける者は、全くひとりのままである。キリスト者たちが礼拝を共にし、祈りを共にし、また奉仕におけるあらゆる交わり〔を持っている〕にもかかわらず、ひとりで、交わりへ…

聞くという奉仕 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 8

交わりの中でひとりがほかの人に負っている第一の奉仕は、<その人の言葉に深く耳を傾ける>ということにおいて成り立つ。神への愛は私たちが神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛の始まりは私たちが兄弟の言葉を聞くようになることである。 中略 …

仕えること 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 7

キリスト者の交わりにおいては、すべてのことは各々が一本の不可欠の環となることに掛かっている。最も小さな環もしっかり組み合わされているときにのみ、鎖は切れることがない。何もすることのない不要なメンバーがそこにいることを許すような交わりは、そ…

ひとりでいることと沈黙 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 6

言葉が交わりの標識であるように、ひとりでいることの標識は沈黙である。沈黙と言葉は、ちょうどひとりでいることと交わりとの関係と同様に、内的な結合と区別の関係にある。一方なしに他方はありえない。正しい言葉は沈黙から来るように、正しい沈黙は言葉…

聖書について 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 3

聖書は個々の句からできているのではなく、一つの全体であり、そのようなものとして力を発揮するのである。 聖書は全体として神の啓示の言葉である。その限りない内的関係において初めて、すなわち旧約と新約、約束と成就、犠牲と律法、律法と福音、十字架と…

ひとりでいることと交わり 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 5

ひとりでいることのできない人は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい。そのような人は、自分自身と交わりとをただ傷づけるだけである。 中略 しかしその逆の命題もまた真である――交わりの中に入れない人は、一人でいることを用心しなさい。あなたは教会の…

人間的な愛と霊的な愛 「共に生きる生活」ボンヘッファーより 3

人間的な愛は自分自身のために他者を愛し、霊的な愛はキリストのために他者を愛する。したがって人間的な愛は他者との直接的な接触を求め、他者を自由な人間としてではなく、自分につながれている者として愛し、あらゆる手段をつくして獲得しようとし、征服…

父は私に「書け」と言った。 朝日新聞 声の欄(2020.06.20)から

(声)語りつぐ戦争 沖縄戦、父が書き続ける訳は ■語りつぐ戦争 平和のバトン 戦後75年 国家公務員 森山知子(埼玉県 46) 沖縄の父は、暇さえあれば戦争体験記を書いていた。いつも戦争の話をした。夕飯のおかずを酒の肴(さかな)に、ビールひと缶で顔…

老牧師の聖書レッスン(平塚敬一著)より

P.11 芝居などで役者が必要以上に自分を大きく見せる、いかにも演技しているという場合、それを「臭い芝居」という。逆に臭くない芝居は、演技している自分が目立たず、むしろ演技(自分)を感じさせないのではないだろうか。「臭」という字は、「自」分を「…

キリストに従う ボンヘッファー 第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 高価な恵み

第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 【高価な恵み】 安価な恵みは、われわれの教会にとって許すべからざる宿敵である。われわれの戦いは今日、高価な恵みをめぐって戦われている。 安価な恵みとは、見切品としての恵みのことであり、投げ売りされた赦し・…

共に生きる生活 ディートリッヒ・ボンヘッファー著 森野善右衛門訳 から 2

P.34霊的な交わりの土台は真理であり、人間的な交わりの土台は欲望である。霊的な交わりの本質は光である。……霊的な交わりはキリストによって召された人たちの交わりであり、人間的な交わりは敬虔な心〔を持った人たち〕の交わりである。霊的な交わりでは、…

「キリストに従う」ボンヘッッファー著 序文より抜粋

ある 人たちが、ただひたすらにキリストの宣教であろうとしているわれわれの説教を、自分たちには縁遠 いきまり文句や概念で一杯になってしまっているということを理由に、厳格かつ難解であると感じた としても、それはそういう人たちだけに責めを負わせるべ…

共に生きる生活 ディートリッヒ・ボンヘッファー著 森野善右衛門訳 から 1

P.27 ……キリスト者の交わりの中に持ち込まれるすべてのこのような人間的理想は、真正の交わりを阻害するものであり、したがって真正の交わりが存続しうるためには、そのような理想像は打ち砕かれなければならない。キリスト者の交わりそれ自身よりも、キリス…

抱擁を遠ざける時

旧約聖書1036ページ。旧約聖書コヘレトの言葉3章1節〜8節 1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時 3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時 4 泣く時、笑う時/嘆く時、…

歴代誌第一 17章 -四重に美しい章-

ダビデが神殿建設の願望を現し、預言者ナタンが一旦「あなたの心にあることをみな行いなさい。」と言ったが、その夜、ナタンに反対の内容が主から示される。 歴代誌では、ダビデが神殿建設をするのが神の御心ではない理由に、列王記のように”ダビデが多くの…

マルクス・ガブリエル欲望の時代を哲学する 丸山俊一 NHK出版新書569 より

P.230 大阪の路上の一般の人 「そうしたら幸せになれますか?」 マルクス・ガブリエル 「みな、それを知りたいですよね? 大事なのは、そこに包括的ルールはない、ということです。 幸せは絶対に、ここ以外のところにはない、と、わかることでしか幸せになれ…

別冊NHK100分de名著 メディアと私たち より

第三章 『空気の研究』山本七平 大澤真幸 P.96 戦艦大和は1945(昭和20)年4月、すでに沖縄戦が始まっている最中、沖縄に向けて出撃しました。しかし、大和の出撃が無謀で、戦略的に無意味であることは、そのときすでに明白でした。会議に参加した参謀の一人ひ…

「ボンヘッファー -反ナチ抵抗者の生涯と思想」宮田光雄 岩波現代文庫より

P.307……これまでの年月の間、ただ自己保存のためにだけ戦ってきたわれわれ教会は、人びとのため、またこの世のための和解と救いの言葉の担い手である力をなくしてしまった。だから、これまでの言葉は無力になり、口がきけない状態にならざるをえない。そして…