バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

使徒の働きに出てくる7人の執事たちとイエス様

 使徒の働き6章で、使徒たちが「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」と言って、御霊と知恵に満ちた評判のよい7人の人を選んで、初代教会での食事の配給の務めを任せることにした。

 ①ステパノ、②ピリポ、③プロコロ、④ニカノル、⑤ティモン、⑥パルメテ、⑦アンティオキアの改宗者ニコラオ、の7人がそのメンバーである。

 そのうち、最初の二人、ステパノとピリポについては、続く数章に個別に大きく取り上げられる。

 ステパノについは、7人のメンバー・リストの直後から記事が始まり、食事の世話をする務めのために選ばれたはずが、説教のたまものがすごくて、彼が語ると誰も太刀打ちできないほどだった。それで、ねたまれて捕らえられて石打ちの刑で殉教していく。

 そのステパノ姿は、処刑方法が十字架と石打ちの違い以外は、逮捕後の裁判の構図から処刑中の言葉、最期の姿までが主イエスの場合と酷似している。

 具体的には、①最高法印(=サンヘドリン)で大祭司が裁判長で裁かれたこと、②偽証人が立てられ、③冒涜罪に定められ、④「私の霊をお受けください。」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と言いながら息を引き取ったこと。

 そして、このステパノの殉教の姿は、現場責任者としてそこに立ち会い、その一部始終を瞼に焼き付けていた青年パウロに、やがて劇的な回心を引き起こす導火線となった。パウロは生前のイエスには一度も会っていない。十字架の死も見ていない。しかし、パウロにとっては、ステパノの死を見たことが、イエスを見、イエスの十字架の死を見たことと同じであった。

 このように、ステパノが主イエス亡き後の小キリストであったことはこれまで、よく理解していた。

 

 今回、使徒の働き8章を読み、ピリポについて新しい発見をした。8章26節から、ピリポがエルサレムからガザに下る道の途中でエチオピアの女王カンダケの高官であるエチピア人の一人の宦官を救いに導く記事がある。それは、このエチオピア人が馬車の中でイザヤ書を読んでいるところにピリポが現れ、馬車に同乗し、「この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた」(35節)。そして、「主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った」(39節)。という具合に話しが展開する。

 これは、復活の主イエスエルサレムからエマオに下る途上で、二人の弟子たちに現れ、「モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた」(ルカ24:27)。「すると彼らの目が開かれ、イエスだとわかったが、その姿は見えなくなった」(同24:31)。ピリポの姿は、この主イエスの姿と酷似しているではないか。

 

 使徒たちよりワンランク下の食事係に任命されたステパノとピリポは、実は、使徒たちを飛び越えて、主イエスご自身に酷似する姿を現して、主に用いられた。

 

 主のなさることは、人間が計画するすべてのことにはるかに勝って美しい。