バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

ルカ福音書における「金持ち」と救い

ルカ福音書には、「金持ち」という言葉は、15回出てくる。

マタイが3回、マルコが2回、あとは、テモテⅠ、ヤコブ書、黙示録に1回ずつで、新約聖書全体で、23回中ルカが15回で65%以上を一手にルカが担当している。

 

以下にルカ福音書で「金持ち」が出てくる箇所を具体的にピックアップする。

本文は新改訳2017、見出しは聖書協会共同訳。


【「愚かな金持ち」のたとえ】12:16

「ある金持ちの畑が豊作であった。‥‥」

 

【客と招待する者への教訓】 14:12

エスはまた、ご自分を招いてくれた人にも、こう話された。「昼食や晩餐をふるまうのなら、友人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。彼らがあなたを招いて、お返しをすることがないようにするためです。

 

【「不正な管理人」のたとえ】16:1

エスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。

 

【金持ちとラザロ】16:19〜30

19ある金持ちがいた。紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい人が寝ていた。21 彼は金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。犬たちもやって来ては、彼のできものをなめていた。22 しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。23 金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。24 金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』‥‥27 金持ちは言った。『父よ。それではお願いですから、ラザロを私の家族に送ってください。‥‥:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ。もし、死んだ者たちの中から、だれかが彼らのところに行けば、彼らは悔い改めるでしょう。』

 

【金持ちの議員】18:23

彼はこれを聞いて、非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。‥‥25 金持ち神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」

 

【徴税人ザアカイ】19:2

するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。

 

【やもめの献金】21:1

エスは目を上げて、金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れているのを見ておられた。

 

 

いろいろな分析や分類が可能であろうが、今回気付いたのは「ある金持ち」「近所の金持ち」「ある指導者が‥‥大変な金持ちだった‥‥」「金持ちたち」とほとんどの場合が匿名で表されている中、実名入りの金持ちはあのザアカイだけである、ということだ。

 

そして、今回は、そのザアカイについてルカ福音書の文脈の中で気付いたことが一つある。

 

ザアカイの話は19章1節からはじまるが、その前の18章では、【金持ちの議員】のくだりで、イエス様の口から「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」という決定的ともいうべきことばが発せられている。

 

これを聞いて驚いた人々が「それでは、だれが救われることができるでしょう。」と言うと、

 

エス様は、「人にはできないことが、神にはできるのです。」とお答えになった。

金持ちが神の国に入ることは、らくだが針の穴を通ることにたとえられるように、端的に言って不可能なのだ、と聞いて、意気消沈した人たちに、「人にはできないが、神にはできる」で終わってしまうと、なんだか、議論を別次元にすげ替えられてしまったような気がして、私なぞは納得いかない気分が残る。

 

しかし、この「人にはできないことが、神にはできる」をたとえ話ではなく、実名で登場する実物の人間に起きたことをもって、実例として紹介しているのが、ルカ福音書の文脈における「徴税人ザアカイ」のエピソードなのではないか。

 

らくだが針の穴と通るよりももっと難しいことが、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」の一言で実現した。

 

「人にはできないが神にはできる」ことの本質・ド真ん中は、「わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから」という神の決心。誰にも相談することなく、ネガティブな要素しかない段階で、ザアカイに最高の反応を期待することこそが、神の神たる能力であり、それによって我々人間は不可能を超えて救われうるのだ。