バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

自分はサムエルに似ているなぁ。サムエルは王、長嶋級?

サムエル記上 15,16章


サウルは 自分とよく似ている。

アマレクとの戦いにおいて、王アガグと分捕り物の中の最上の牛と羊は聖絶しなかったけれど、 それ以外は聖絶した。
だいたいの方向性においては神の言に従っているが、それをやり抜くことをせず、

あと一歩のところで自分の判断、常識的な判断、 計算や打算、情をからめてしまう。
それでいて、 自分は主に従っているつもりになっている。
と同時に、 民からの圧力に屈してこうしたという後ろめたさを隠し持っている。

 

サムエルによる ダビデの油注ぎの場面
1) 16:6
サムエルは、… 見て、…思った。
エデンの園での エバと同じ
人間の 視覚からの判断は、ことごとく misleading
2) その後のサムエルの判断
長男 エリアブが違うとなってから、 目の前にいる7人のエッセイの息子たちすべてに「ノー」を言うことは難しかったと思う。
「エッサイの息子たちの中から」と言われているのに、目の前の全員を違うとするのだから。

これを読んで思った。 サムエルが預言者として超一流だったのは、 野球にたとえれば、「決っしてボールに手を出さない選球眼の良さ」にあったのではないか。YouTubeである野球界の大御所がこんなことを言っていたのを見たことがある。
ある往年の名ピッチャーの決め玉は ずっとストライクのコースを来て打者の手元でボールになる。 見送ればボールだが、あれに手を出さないでいられるのは、王と長嶋だけだったと。サムエルも最後までボールに手を出さないでいることができた。ツーストライクと追い込まれていてもボールには手を出さないでいられる霊性こそ、神に用いられる預言者の資質か?