バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

信仰の普遍性と個別性

ローマ14章
ロマ書の 前半ではパウロは主に「律法の行い」 と「信仰」、中でも「割礼v.s 信仰」を するどく対比させながら論を進めてきた。 この14章でより生活に密着する食物のことを取り上げる。
ここでも「信仰」が キーワードだが、 前半とは違う意味合いで使われている。
前半での「信仰」 は、「神が価いしない者に恵み深くあってくださる」 という神のピスティス(=真実)により頼むという人間の側のピスティス(=信仰)という意味で普遍的な意味合い。 ここには個人差は想定されていない。
それに対して、食物規定との絡みで出てくる「信仰」は、14:22「あなたが持っている信仰は、神の前で自分の信仰として持っていなさい。」とあるように、個人個人によって違う個別性が前提とされている。ここでは「神は真実」 という絶対性より、「自分がどう考えるか」という主観性が中心に据えられている。
実際に信仰生活を送っていくときには、宙に浮いた「絶対性」 だけではやっていけない。 人それぞれ、自分が置かれている状況は他人とは違っていて、そこに個別性がある。 状況だけではなく、個性や生いたち、経歴、背景などからも個別性は規定される。
たとえ「神の絶対性」が完全に唯一(一通り, single)であても、個々に違う人間がそこへ繋がる “つながり方” は、人それぞれということになる。
その「それぞれさ」を認め合うことが 信仰者同士の交わりの根本的な作法なのではないか。これを認めない者は、 他にどんなに秀れた信仰的資質を持っていても、結局は、聖書が言う教会(主のからだ、工クレシア)を壊す存在でしかあり得ないと思う。