バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

パウロの誇り

コリント人への手紙第二11章21b〜27辺りに、パウロが自分について誇れることを長々とリストアップしているところがある。

 大まかに言うと、イスラエル人としての純粋さ、耐えてきた迫害・困難の多さと酷さなど。私は、長年、単純に、ここは、パウロが、普段は心の中にしまっていることをたまには出したくなて出してきたんだろう、と勘違いをしてきた。しかし、今朝、ここを読み、パウロの趣旨が全くその正反対であることに気づいた。

 文脈を見ると、この「誇りのリスト」は、21節の「言うのも恥ずかしいですが、私たちは弱かったのです。」と29,30節の「だれかが弱くなっているとき、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまづいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」に挟まれている。

 もう少し短く引用すると、「私たちは弱かったのです。」と「私は自分の弱さを誇ります。」の二つに挟まれている。文脈としては、この二つは、そのあいだの「誇りのリスト」を飛ばすとそのままつながる。なので、パウロは、ここでは、単純に「自分は自分の弱さ以外に誇るものはない」と言うことを書こうとして、この部分に差し掛かったことがわかる。

 そうであるならば、この「誇りのリスト」は、本当は、「誇りのリスト」ではなく「誇りにならないリスト」としてあげられているのだ。本当に誇るべき「自分の弱さ」と比べれば、いかほどのことでもない。弱さと言う真に誇るべきものが浮き立つためのバックグラウンドとして、この「誇りのリスト」が書かれているのだ。