バルタン誠路nのブログ

聖書についての随想、書籍感想

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

イエスのネガティブ・ワード

マタイの8章5節~13節には、“百人隊長のしもべの癒し”が書かれている。「わざわざあなたにおいでいただくほどの資格が自分にはありません。おことばをいただければ癒されます。」と言った異邦人百人隊長の信仰をイエス様はべた褒めし「イスラエルのうちのだ…

ツァアラトに冒された人の癒し(マタイ8:1~4)

この箇所は、マタイ福音書で山上の説教が終わって、イエス様が山を降りてから初めての出来事として記されているので、非常に位置的に重要なものである。ある意味、山上の説教は御国の理念を言葉で連続講義されたものであるが、山からおりて実社会でそれがど…

わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。(創世記17:1,2)

わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。(創世記17:1) 主はここにいたるまでも何度もアブラハムに現れて語りかけておられる。 しかし、この創世記17章1節にはそれまでにない3つの新しいことがある。 1つは、神が「わたしは…で…

サライとハガル 不条理の神

「アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。…」創世記16:3-4a ハガルは、上記でもそう呼ばれているよ…

宣教の主体と方法と内容 「キリスト教の歴史(上)」越川弘英

…キリスト教の誕生から数世紀間にわたってカリスマ性を帯びた奇跡行為者や巡回説教者などが存在し、各地で宣教者として活躍したことが知られている。ペトロやパウロたちもそうした宣教の専門家というべき存在であった。しかしこの時代におけるもっとも重要な…

イエスの荒野の試み

マタイ福音書の3章、4章を続けて読んでいくと、前ブログで書いたように、3章最後のイエス受洗の記事では、イエスとバプテスマのヨハネの結びつきが心に残るが、その印象をもったまま4章に入ると、今度は、イエスと悪魔との結びつきの深さが強く心に迫っ…

イエス様の受洗

イエス様は、バプテスマのヨハネに洗礼を申し出たとき、バプテスマのヨハネから待ったをかけられう。そして、「今はそうさせてもらいたい。すべてを正しく行うのは、われわれにふさわしいことです。」(聖書協会共同訳)と仰った。 私は、ずっと、この「正し…

真実(マタイ 5:33−37)キリストの従う ボンヘッファー

真実 マタイ 5:33−37 完全な真実は、おおいを取り去られた罪からのみ生じる。そしてその罪もまた、イエスによって既に赦しを与えられているのである。イエスに対しての罪の告白をしながら真実の中に立つ者だけが、どこで真実を語らねばならないとしても、そ…

「しなやかな超人」か「完璧なひきこもり」か 対談ー西研✖斎藤環 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

「しなやかな超人」か「完璧なひきこもり」か 対談ー西研✖斎藤環 西 ニーチェが説いた超人のように、他者からの承認を必要とせず、自分が本当にやりたいこと、内側から溢れ出てくるものを見つけられないのも原因かな、といまのお話を聞いて思ったのですが。 …

「悦びと創造性の精神」をもって生きる 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

「悦びと創造性の精神」をもって生きる さて、最後に、「表現のゲーム」を育てていくさいに大切なポイントをお話しして、第4章を終えたいと思います。それは、先にあげた三つの意義の①に関係してくるのですが、「安心して語り合える空間はどうやったらつく…

第3章 永遠回帰とは何か 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

第3章永遠回帰とは何か 人生のあらゆるものが永遠に戻ってくる 本章ではいよいよ「永遠回帰」を取り上げます。正確には「同じもの(同一物)の永遠回帰」といいます。 『ツァラトゥストラ』第三部、第四部のテーマであると同時に、この本の中心思想といってい…

ルサンチマン 「ニーチェ ツァラトゥストラ」(西研)

ルサンチマン――無力からする意志の歯ぎしり 以上、ニーチェの人となりがわかるように人生を追ってきましたが、この章では『ツァラトゥストラ』を理解するうえで大切な言葉を一つ覚えていただけたらよいと思います。一つは「ルサンチマン」で、もう一つは「価…

尋ね合う関係(西研「ニーチェ ツァラトゥストラ」より)

尋ね合う関係が場のなかにできていくと、メンバーは安心します。誤解が少なくなり、仮に誤解が生まれてもすぐにその場で訂正ができるからです。「本当に自分がいいたいことをいついっても大丈夫なんだ」という安心感が生まれる。この安心感が土台となって、…

自立(西研「ニーチェ ツァラトゥストラ」より)

…目の見えない学生が大学のゼミに来たことがあります。ゼミ生もぼくもどこまで気を遣えば良いのか、あるいは気を遣う必要はないのか、よくわからなくて、最初少し戸惑いがありました。どこで、「何か必要なことがありますか?」と彼に聞くと、「では一つだけ…

守破離

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の…

過越の祭り(関根正雄訳聖書の注から)

元来家ごとの祝いだった(出エジプト記12:43以下)が申命記(16:1以下)でエルサレムでの祝いとされた。

ヨハネ3:16

今日、お読みしましたヨハネによる福音書3章16節は、多くの人から「聖書中の聖書」と言われているところです。また、聖書がなくなっても、このヨハネ3章16節が残れば、聖書全体が残っているに等しい、というような言い方をする人もいます。 それほどに…

罪の告白と兄弟 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 10

私たちを助けるためにキリストは私たちの兄弟となられた。今やそのキリストを通して私たちの兄弟が、キリストから委託された権能において私たちのためのキリストとなった。兄弟は、神の真理と恵みのしるしとして、私たちの前に立っている。兄弟は、助ける者…

罪の告白と交わり 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 9

互いにその罪を告白し合いなさい」(ヤコブ5:16)。自分の悪を抱えたままひとりであり続ける者は、全くひとりのままである。キリスト者たちが礼拝を共にし、祈りを共にし、また奉仕におけるあらゆる交わり〔を持っている〕にもかかわらず、ひとりで、交わりへ…

聞くという奉仕 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 8

交わりの中でひとりがほかの人に負っている第一の奉仕は、<その人の言葉に深く耳を傾ける>ということにおいて成り立つ。神への愛は私たちが神の言葉を聞くことから始まるように、兄弟への愛の始まりは私たちが兄弟の言葉を聞くようになることである。 中略 …

仕えること 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 7

キリスト者の交わりにおいては、すべてのことは各々が一本の不可欠の環となることに掛かっている。最も小さな環もしっかり組み合わされているときにのみ、鎖は切れることがない。何もすることのない不要なメンバーがそこにいることを許すような交わりは、そ…

ひとりでいることと沈黙 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 6

言葉が交わりの標識であるように、ひとりでいることの標識は沈黙である。沈黙と言葉は、ちょうどひとりでいることと交わりとの関係と同様に、内的な結合と区別の関係にある。一方なしに他方はありえない。正しい言葉は沈黙から来るように、正しい沈黙は言葉…

聖書について 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 3

聖書は個々の句からできているのではなく、一つの全体であり、そのようなものとして力を発揮するのである。 聖書は全体として神の啓示の言葉である。その限りない内的関係において初めて、すなわち旧約と新約、約束と成就、犠牲と律法、律法と福音、十字架と…

ひとりでいることと交わり 「共に生きる生活」ボンヘッファー より 5

ひとりでいることのできない人は、交わり〔に入ること〕を用心しなさい。そのような人は、自分自身と交わりとをただ傷づけるだけである。 中略 しかしその逆の命題もまた真である――交わりの中に入れない人は、一人でいることを用心しなさい。あなたは教会の…

人間的な愛と霊的な愛 「共に生きる生活」ボンヘッファーより 3

人間的な愛は自分自身のために他者を愛し、霊的な愛はキリストのために他者を愛する。したがって人間的な愛は他者との直接的な接触を求め、他者を自由な人間としてではなく、自分につながれている者として愛し、あらゆる手段をつくして獲得しようとし、征服…

父は私に「書け」と言った。 朝日新聞 声の欄(2020.06.20)から

(声)語りつぐ戦争 沖縄戦、父が書き続ける訳は ■語りつぐ戦争 平和のバトン 戦後75年 国家公務員 森山知子(埼玉県 46) 沖縄の父は、暇さえあれば戦争体験記を書いていた。いつも戦争の話をした。夕飯のおかずを酒の肴(さかな)に、ビールひと缶で顔…

老牧師の聖書レッスン(平塚敬一著)より

P.11 芝居などで役者が必要以上に自分を大きく見せる、いかにも演技しているという場合、それを「臭い芝居」という。逆に臭くない芝居は、演技している自分が目立たず、むしろ演技(自分)を感じさせないのではないだろうか。「臭」という字は、「自」分を「…

キリストに従う ボンヘッファー 第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 高価な恵み

第一部 恵みと服従 Ⅰ高価な恵みと服従 【高価な恵み】 安価な恵みは、われわれの教会にとって許すべからざる宿敵である。われわれの戦いは今日、高価な恵みをめぐって戦われている。 安価な恵みとは、見切品としての恵みのことであり、投げ売りされた赦し・…

共に生きる生活 ディートリッヒ・ボンヘッファー著 森野善右衛門訳 から 2

P.34霊的な交わりの土台は真理であり、人間的な交わりの土台は欲望である。霊的な交わりの本質は光である。……霊的な交わりはキリストによって召された人たちの交わりであり、人間的な交わりは敬虔な心〔を持った人たち〕の交わりである。霊的な交わりでは、…

「キリストに従う」ボンヘッッファー著 序文より抜粋

ある 人たちが、ただひたすらにキリストの宣教であろうとしているわれわれの説教を、自分たちには縁遠 いきまり文句や概念で一杯になってしまっているということを理由に、厳格かつ難解であると感じた としても、それはそういう人たちだけに責めを負わせるべ…